「ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン」を読み終えた時、あなたはどんな感情を抱きましたか?
「え、全滅しちゃったの?」「結局、徐倫たちはどうなったの?」と、あまりに衝撃的で難解なラストシーンに、頭が真っ白になった方も多いはずです。ジョジョシリーズの中でも、これほどまでに賛否が分かれ、かつ美しく切ないラストはありません。
プッチ神父が目指した「天国」とは何だったのか。そして、最後に現れたアイリーンという女性は一体誰なのか。
今回は、多くの読者が躓きやすい「宇宙の一巡」の仕組みから、エンポリオが流した涙の理由まで、その核心を徹底的に紐解いていきます。これを読めば、絶望に見えたあのラストが、実はジョジョ史上最高の「希望の物語」であったことがわかるはずです。
プッチ神父の究極スタンド「メイド・イン・ヘブン」の脅威
物語の終盤、プッチ神父はついにジョースター家との因縁に終止符を打つための力を手に入れます。それが、時を無限に加速させるスタンド「メイド・イン・ヘブン」です。
この能力は単に「自分が素早く動ける」という次元の話ではありません。生物以外のすべての時間を加速させ、宇宙そのものを終焉へと導き、新しい宇宙を誕生させるという、神の領域に踏み込んだ力でした。
「覚悟」こそが幸福というプッチの歪んだ思想
プッチ神父がなぜこれほどまでの凶行に及んだのか。その根底には「全人類を幸福にしたい」という、彼なりの正義がありました。
プッチの考える幸福とは「未来を知ること」です。宇宙を一巡させる過程で、全人類はこれから自分の身に起こる出来事をあらかじめ体験します。一度体験したことは、無意識のうちに魂に刻まれる。つまり、これから起こる悲劇も、死の瞬間も、すべて「知っている」状態になるのです。
「明日死ぬ」と知っていれば、人はその運命に絶望するのではなく、覚悟を決めることができる。この「覚悟」こそが幸福であると、彼は信じて疑いませんでした。しかし、それは個人の意志や可能性を否定する、あまりに独善的な思想だったのです。
承太郎と徐倫の死、そして託された希望
ケープ・カナベラルでの最終決戦は、あまりにも残酷な展開を迎えました。加速する時の中で、無敵を誇った空条承太郎でさえも、娘である徐倫を守るために隙を突かれ、命を落とします。エルメェスも、アナスイも、次々とプッチの刃に倒れていきました。
徐倫が最後に選んだ「黄金の精神」
仲間が次々と倒れる中、徐倫は最後の決断を下します。それは、生き残った少年・エンポリオを逃がすために、自らが囮となってプッチに立ち向かうことでした。
「来い!プッチ神父」
その言葉とともに、彼女は自らの命を賭してエンポリオを新世界へと送り出します。1部から続くジョースター家の血の宿命。彼女はその呪縛を断ち切るためではなく、次世代へ「希望」を繋ぐために、自らの未来を差し出したのです。
この自己犠牲の精神こそが、ジョジョシリーズが描き続けてきた「黄金の精神」そのものでした。
エンポリオの逆転劇!なぜプッチは敗れたのか
宇宙が一巡し、物語の舞台は再びグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所へと戻ります。しかし、そこはプッチの理想が完成する一歩手前の「不完全な新世界」でした。
プッチはこの世界で、唯一のイレギュラーであるエンポリオを始末しようとします。しかし、ここで勝敗を分けたのは、力ではなく「意志」でした。
ウェザー・リポートという遺志
エンポリオは、かつての仲間であるウェザー・リポートが遺した「スタンドのディスク」を自らの頭に挿入します。プッチ自身の加速する能力が仇となり、部屋に充満した「純粋な酸素」によって、プッチの肉体は崩壊を始めました。
プッチは叫びます。「運命を変えることはできない!」と。しかし、エンポリオは答えました。「正義の道を歩むことこそが運命なんだ」と。
プッチは自らが作り出した運命の輪の中で、かつて自分が虐げた弟(ウェザー)の力によって滅ぼされるという、これ以上ない皮肉な最期を迎えたのです。プッチが「一巡の途中」で死亡したことにより、彼が作り出そうとした「全人類が未来を知る世界」は完全に崩壊しました。
ラストシーンのアイリーンは「徐倫」なのか?
プッチの消滅後、世界は再び再構成されました。そこでエンポリオが出会ったのは、徐倫によく似た女性「アイリーン」でした。
多くの読者が混乱するこのシーン。彼女は徐倫なのでしょうか、それとも別人なのでしょうか。
呪縛から解放された魂
結論から言えば、彼女は「徐倫の魂を持った、別の人生を歩んでいる女性」です。
プッチ神父という存在が歴史から消し去られたことにより、ジョースター家とDIOに端を発する因縁の連鎖が消滅しました。
- 承太郎は、家族を危険にさらさないために距離を置く必要がなくなった。
- 徐倫は、父親の愛を十分に受けて育ち、「アイリーン」という名で幸せな人生を送っている。
- エルメェスやアナスイ、ウェザーも、それぞれ悲劇的な過去を持たない「別の名前の誰か」として存在している。
彼女たちの顔には、あの過酷な戦いの中で浮かべていた悲壮感はありません。ただ、雨の中で偶然出会った見知らぬ少年(エンポリオ)を車に乗せてあげる、優しい女性として描かれています。
エンポリオの涙と「僕の名前は」という決意
ラストシーンで、アイリーンに名前を尋ねられたエンポリオは、泣きながらこう答えます。
「僕の名前は……僕の名前はエンポリオです」
この一言に、ジョジョ6部のすべてが詰まっていると言っても過言ではありません。
アイリーンたちは、かつての戦いの記憶を一切持っていません。彼女たちにとって、エンポリオはただの迷子の少年です。共に命を懸けて戦った記憶を共有しているのは、この広い世界でエンポリオただ一人だけ。
その孤独と切なさ。しかし同時に、目の前にいる彼女たちが「死の運命」から解放され、自由に生きていることへの救い。エンポリオの涙は、読者の感情を代弁するものでした。
記憶はなくとも、魂は繋がっている。そして、彼らが再び惹かれ合い、共に旅をすること。それこそが「引力」であり、ジョジョが描く希望の形なのです。
7部『スティール・ボール・ラン』への繋がりはある?
6部の結末が「世界の一巡」だったため、続く7部『スティール・ボール・ラン』や8部『ジョジョリオン』は、この一巡後の世界の話だと思われがちです。
しかし、厳密にはこれらは直接的な地続きの物語ではありません。7部以降は、いわゆる「パラレルワールド」としての新しいジョジョの物語です。
6部のラストで描かれた「アイリーンの世界」は、1部から始まったジョースター家とDIOの因縁に対する、完結編としてのハッピーエンドなのです。荒木飛呂彦先生は、この物語を一度「完全燃焼」させることで、次なる新しいステージへと進んだと言えるでしょう。
ジョジョの世界をより深く楽しみたい方は、改めて1部からの流れを振り返ってみるのもおすすめです。ジョジョの奇妙な冒険 第1部から読み返すと、6部の結末がいかに壮大な救済であったかがより鮮明になります。
まとめ:ジョジョ ストーン オーシャン 最後の意味を噛み締めて
「ジョジョ ストーン オーシャン 最後」の結末は、一見すると主人公たちが消えてしまったバッドエンドに見えるかもしれません。しかし、その本質は「失われた命と引き換えに、次世代が呪縛のない自由な未来を手に入れた」という、究極の勝利の物語です。
徐倫は「徐倫」としての記憶を失いましたが、それと引き換えに、父親の愛を知る「アイリーン」としての幸福を手に入れました。それは、彼女たちが戦い抜いたからこそ掴み取れた結果なのです。
もし、まだあの切ないラストに納得がいかないという方は、ぜひアニメ版もチェックしてみてください。最終話のエンディング、1部の楽曲である『Roundabout』が流れる演出は、すべての因縁が浄化されていくような感動を与えてくれます。
ジョジョという長い長い物語が、あの雨の日の出会いで一度幕を閉じたこと。その意味を噛み締めながら、再びページをめくってみてはいかがでしょうか。

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