『ジョジョの奇妙な冒険 第2部 戦闘潮流』を語る上で、避けては通れない存在があります。それが、ドイツ軍将校ルドル・フォン・シュトロハイム率いるナチス軍団です。
現代のコンプライアンスや国際情勢を考えると、ナチスを「味方側」として描くことは極めてセンシティブなはず。それなのに、なぜジョジョのナチス描写は世界中で愛され、今日まで語り継がれているのでしょうか。
今回は、シュトロハイムというキャラクターの圧倒的な人気と、アニメ化における表現規制の裏側、そして荒木飛呂彦先生が描こうとした「人間讃歌」の真髄に迫ります。
ナチスが「味方」として登場する異色のストーリー
ジョジョ第2部は1938年、第二次世界大戦直前の世界を舞台にしています。物語の主軸は、人類を遥かに凌駕する超生物「柱の男」たちと、主人公ジョセフ・ジョースターの死闘です。
この戦いの中で、シュトロハイム率いるドイツ軍は、当初はスピードワゴンを拉致する「敵」として登場します。しかし、共通の敵である柱の男たちが覚醒すると、彼らは人類の存亡をかけてジョセフと共闘することになります。
ここで重要なのは、彼らが「善人になったから味方になった」わけではないという点です。あくまで「地球の主導権を握るのは人間であるべきだ」という、ある種の傲慢さも含めた利害の一致によって手を組んだに過ぎません。このドライでリアリティのある関係性が、物語に深みを与えています。
「我がドイツの科学力は世界一ィィィ!!」シュトロハイム人気の秘密
ジョジョファンで、彼の名言を知らない人はいないでしょう。サイボーグ化した体に重機関銃を仕込み、「世界一ィィィ!」と叫ぶシュトロハイム。なぜ彼はここまで愛されるのでしょうか。
圧倒的な自己犠牲と「誇り」
シュトロハイムの魅力は、その過激な言動の裏にある「覚悟」にあります。サンタナとの戦いでは、自らの足を切り、さらには手榴弾で自爆してまでジョセフに勝機を繋ごうとしました。
ナチスという組織の是非は脇に置いたとしても、彼個人が持つ「目的のために命を投げ出す精神」は、ジョジョのテーマである「勇気」そのものです。読者は彼の所属組織ではなく、その剥き出しの魂に惹かれるのです。
フィクションとしての「過剰さ」
彼のサイボーグ化された姿や、腹部から飛び出すガトリング砲は、もはやリアリティを超越したファンタジーの域に達しています。この「やりすぎ感」こそが、政治的な生々しさを中和するフィルターの役割を果たしています。
また、ジョジョの奇妙な冒険 第2部を読み返すと、彼の行動原理が常に「ドイツ国家への愛」という、ある種純粋すぎるほどの一点に集約されていることがわかります。その迷いのなさが、ダークヒーロー的なカリスマ性を生んでいるのです。
表現規制との戦い:アニメ版と海外展開の裏側
漫画では許容されても、映像作品や海外輸出となると話は別です。ジョジョのアニメ化においては、非常に細心の注意を払った「修正」が行われています。
徹底的に排除されたシンボル
アニメ版をよく見ると、シュトロハイムの腕章や軍旗から「ハーケンクロイツ(鉤十字)」が完全に消えていることに気づくはずです。代わりに、ナチスを連想させつつも実在しない紋章や、×印のようなデザインに差し替えられています。
これは、ドイツをはじめとする多くの国でナチスのシンボルを掲げることが法律で禁じられているためです。作品の芸術性を守りつつ、国際的なルールに適応させるための苦肉の策と言えるでしょう。
海外版での名称変更
英語圏の配信プラットフォームでは、さらに踏み込んだ対策が取られています。字幕や吹替では「Nazi」という直接的な呼称を避け、「German Soldier(ドイツ兵)」という表現に置き換えられることが一般的です。
しかし、面白いことに海外のファンコミュニティでも「シュトロハイムは別格」として受け入れられている傾向があります。彼を「ナチスのプロパガンダ」として見るのではなく、「ジョジョという奇妙な世界に住む、誇り高いサイボーグ」として認識しているファンが多いためです。
荒木飛呂彦先生が描いた「ナチス」という舞台装置
荒木先生はなぜ、あえてこの時代背景を選んだのでしょうか。そこには、1980年代当時の映画文化と、先生独自の作家性が反映されています。
映画的リアリズムとオカルト
当時、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』をはじめとする冒険映画では、ナチスは「強大な軍事力とオカルトへの執着を持つ敵役」として定番の存在でした。荒木先生はこの映画的なエッセンスを漫画に取り入れ、物語のスケール感を高めることに成功しました。
善悪の境界を超えた「人間讃歌」
ジョジョの根底にあるのは、どんな状況下でも輝く人間の精神を讃える「人間讃歌」です。
「ナチスという悪の組織に属する人間であっても、絶望的な状況で他人を救うために命を懸ける瞬間があるのではないか?」
この問いかけこそが、シュトロハイムというキャラクターを生んだ原動力ではないでしょうか。
特定の思想を肯定するのではなく、極限状態における「人間の可能性」を描く。そのために、あえてもっとも議論を呼ぶ組織を登場させた。これは荒木先生による、読者への挑戦状とも受け取れます。
現代において「戦闘潮流」をどう楽しむべきか
今の時代に第2部を楽しむ際、私たちはどのような視点を持つべきでしょうか。
大切なのは、「フィクションの演出」と「歴史的事実」を明確に切り離して鑑賞することです。作中のシュトロハイムの活躍を楽しみ、彼の勇気に感動することと、現実の歴史における惨劇を肯定することは全くの別物です。
ジョジョという作品は、キャラクターの多面性を描くことに長けています。悪の中にある気高さ、正義の中にある危うさ。その複雑さを理解した上でジョジョの奇妙な冒険を読み進めると、より一層作品の深みが理解できるはずです。
まとめ:ジョジョ2部のナチス描写はなぜ許される?シュトロハイムの人気と表現規制の裏側を解説
結論として、ジョジョにおけるナチス描写が今日まで受け入れられている理由は、以下の3点に集約されます。
- キャラクターの純粋な魅力: シュトロハイムの「覚悟」と「誇り」が、組織の属性を超えて読者の心を打つから。
- 徹底したメディア対応: シンボルの差し替えや呼称の変更など、アニメ制作陣が国際的な配慮を怠らなかったから。
- 作品テーマの一貫性: 思想の肯定ではなく、極限状態の「人間讃歌」を描くための舞台装置として徹しているから。
シュトロハイムは、ジョセフの戦友として、そして読者の記憶に刻まれる伝説のキャラクターとして、これからも愛され続けるでしょう。彼の叫ぶ「科学力」は、単なる兵器の性能ではなく、不可能を可能にしようとする人間の意志の象徴なのかもしれません。
もし、まだ原作やアニメをチェックしていない方がいれば、ぜひこの機会にジョジョの奇妙な冒険 第2部 Blu-rayなどで、彼の生き様をその目で確かめてみてください。
「ジョジョ2部のナチス描写はなぜ許される?シュトロハイムの人気と表現規制の裏側を解説」について、あなたの感想もぜひコメントで教えてくださいね。

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