「人生のピークはもう過ぎてしまったのか?」
「一度諦めた夢を、もう一度追いかけるのは無謀なのだろうか?」
そんな大人たちの乾いた心に、強烈な熱を注ぎ込んでくれた将棋漫画があります。鍋倉夫先生の『リボーンの棋士』です。
全7巻という、決して長くはない巻数で幕を閉じた本作。あまりにも鮮やかで、それでいて「えっ、ここで終わり?」と思わせる幕引きだったため、ネット上では「リボーンの棋士は打ち切りだったのではないか?」という噂が絶えません。
今回は、なぜ本作が「打ち切り」と疑われてしまうのか、その完結の理由や作品に込められた真の意図、そして最終回の評価について、読者の皆さんが抱える疑問を一つずつ解き明かしていきます。
『リボーンの棋士』に打ち切り説が浮上した3つの背景
まず、なぜこれほどまでに「打ち切り」というワードが検索されているのでしょうか。そこには、従来の将棋漫画や少年漫画のセオリーとは異なる、本作独特の物語構成が関係しています。
プロ編入試験の「結果」を描かずに完結したこと
最大の要因は、物語の大きなゴールとして設定されていた「プロ編入試験」の本番を描き切らずに物語が終わったことです。
普通、成功物語であれば、苦難を乗り越えて試験に合格し、周囲を見返して「プロ棋士」としてデビューする姿までを描くのが王道ですよね。しかし、本作は安住がプロ編入試験の受験資格を得るための戦い、あるいはその決意を固めるまでのプロセスに重きを置いていました。
最高潮に盛り上がったところで、「俺たちの戦いはこれからだ!」と言わんばかりのスピード感で完結したため、読者は「もっと続きが見たかった」「人気がなくて終了を急がされたのでは?」と勘ぐってしまったのです。
掲載誌『ビッグコミックスピリッツ』での立ち位置
本作が連載されていたのは、青年誌の雄『週刊ビッグコミックスピリッツ』です。
非常に作家性の強い作品が並ぶ雑誌ですが、将棋というテーマは、派手なアクションやエロ・グロ要素に比べると地味に見えがちです。特に本作は、キラキラした天才の物語ではなく、一度挫折して「おじさん」と呼ばれる年齢に差し掛かった男たちの泥臭い再起を描いていました。
この渋すぎるテーマが、アンケート結果などの商業的な数値において、連載を長期継続させるためのハードルになったのではないか……。そう推測するファンが多かったことも事実です。
全7巻というコンパクトな巻数
人気漫画であれば、10巻、20巻と続くのが一般的です。物語の密度に対して、全7巻というボリュームは非常に短く感じられます。
特にライバルである土屋との因縁や、個性豊かなアマチュア棋士たちの掘り下げなど、広げようと思えばいくらでも広げられる設定があっただけに、コンパクトにまとまりすぎている印象が「打ち切り説」に拍車をかけました。
実は必然?物語が「7巻で完結した理由」を再考する
しかし、作品を深く読み解いていくと、あえてあのタイミングで終わらせたことには、作家としての強い意志が感じられます。単なる打ち切りとは片付けられない、納得の理由が見えてくるのです。
「リボーン(再生)」というテーマの達成
タイトルの通り、この物語の核心は「プロ棋士になること」そのものではなく、一度は将棋を捨てた安住が「再び立ち上がる(リボーンする)」過程にありました。
奨励会を退会し、抜け殻のように生きていた安住が、再び駒を握り、勝負の厳しさと喜びに身を投じる。そして、アマチュア竜皇戦という大舞台を経て、負けることの恐怖を乗り越え、「それでも自分には将棋しかない」と心の底から認める。
この精神的な復活が描かれた時点で、物語の主題は完結していたと言えます。プロ編入試験の合否は、あくまでその後の「結果」に過ぎず、安住の心が再生した瞬間に、読者に伝えるべきメッセージは出し切られたのです。
ライバル・土屋の物語としての完結
本作の影の主人公とも言えるのが、土屋です。彼は安住以上に、読者の感情を揺さぶるキャラクターでした。
性格に難があり、嫌われ者だった土屋が、安住との対局や将棋への執念を通じて、最も熱く、最も応援したくなる存在へと変わっていきました。彼がプロ編入試験への道を切り拓き、自分の人生に折り合いをつける姿は、一つの群像劇として見事な着地を見せています。
土屋の物語がピークを迎えたタイミングで、安住の再起を重ね合わせたラストシーン。あれ以上の美しい幕引きはなかったのかもしれません。
リアリティの追求という側面
本作は、将棋監修に鈴木大介九段を迎え、将棋界のシビアな現実を徹底的に描いていました。
プロ編入試験は、並大抵の努力で突破できるものではありません。安住が奇跡のように連戦連勝し、トントン拍子でプロになる……という展開にしてしまうと、それまで丁寧に積み上げてきた「大人の挫折と再生」というリアリティが崩れてしまう恐れがありました。
「挑戦し続ける日常」に戻ったところで終わるからこそ、私たちの現実の人生にも重なる、深い余韻が残ったのです。
最終回の評価はどうだった?読者の本音と満足度
『リボーンの棋士』の結末に対し、読者はどのような反応を示したのでしょうか。Q&AサイトやSNS、レビューサイトの意見をまとめると、興味深い傾向が見えてきます。
「名作」と称える圧倒的な支持
多くの読者は、最終回の展開を絶賛しています。「清々しい」「これこそが読みたかったラストだ」という声が非常に多いのです。
特に、ラストシーンで安住が見せた表情。そこには、奨励会時代の絶望も、未練もありません。ただ、純粋に目の前の一局に全てを懸ける、一人の棋士としての矜持がありました。この「さわやかな読後感」こそが、本作が名作として語り継がれる理由です。
将棋を知らない読者からも、「何かに挫折した経験がある人間なら、涙なしには読めない」という高い評価を得ています。
一方で残る「物足りなさ」
当然、否定的な意見というよりは、「もっと読みたかった」という飢餓感に近い不満も存在します。
「安住がプロの舞台で戦う姿を、一目だけでもいいから見たかった」
「あの魅力的なサブキャラクターたちのその後を追いたかった」
これらは作品への愛ゆえの意見であり、物語としての不備を突くものではありません。しかし、この「続きを渇望させる」パワーこそが、打ち切り説を消えさせない理由にもなっています。
鈴木大介九段の監修による重み
作品全体の評価を支えていたのは、間違いなくその専門性の高さです。
盤上の心理戦だけでなく、棋士たちが背負っている人生の重み、対局室の空気感。これらが正確に描写されていたからこそ、ラストの「プロになれるかどうか分からないけれど、戦い続ける」という選択に説得力が宿りました。
将棋漫画としてのクオリティの高さが、安易なハッピーエンドを許さない、格調高い完結をもたらしたのです。
鍋倉夫先生の現在と、作品が残したメッセージ
『リボーンの棋士』を完結させた後、鍋倉夫先生はどのような道を歩んでいるのでしょうか。
次回作『路傍のエトワール』への継承
鍋倉先生はその後、バレエを題材にした『路傍のエトワール』を連載しました。
一見、将棋とは正反対の華やかな世界に見えますが、根底に流れるテーマは共通しています。それは、「選ばれなかった者」や「遅れてきた者」が、どのようにして自分の情熱に火を灯し続けるかという物語です。
『リボーンの棋士』で培われた、人間の内面を深く掘り下げる描写力と、勝負の世界の厳しさは、新作でも遺憾なく発揮されました。鍋倉先生にとって『リボーンの棋士』は、作家としてのアイデンティティを確立した重要な通過点だったと言えるでしょう。
漫画が教えてくれた「本当の勝ち」とは
私たちは日々、結果を求められます。仕事でも、趣味でも、何らかの目に見える成果が出なければ「負け」や「無駄」だと思ってしまいがちです。
しかし、安住の姿は教えてくれます。本当の負けとは、挑戦を諦めること。そして本当の勝ちとは、たとえ報われる保証がなくても、自分が自分であるために、その道を歩み続ける覚悟を決めること。
このメッセージは、連載終了から時間が経った今でも、多くの人の心に刺さり続けています。
リボーンの棋士は打ち切り?完結の理由や最終回の評価まとめ
最後に、改めて振り返ってみましょう。
『リボーンの棋士』が打ち切りと言われるのは、それだけ物語に爆発力があり、読者が「もっと先を」と願った証拠でもあります。公式な打ち切りの証拠はなく、むしろ「安住の心の再生」という物語の核を、最も熱量の高い状態で描き切った完結だったと言えるでしょう。
全7巻という長さは、一気に読み返すのにも最適です。もしあなたが、今何かに迷っていたり、昔諦めた夢をふと思い出したりしているのなら、ぜひ単行本を手にとってみてください。
紙の質感を楽しみながら読み耽る時間は格別ですが、場所を選ばず読める電子書籍も便利です。スマートフォンやタブレットで読むなら、Fire HD 8 タブレットのようなデバイスがあると、将棋の細かな駒の動きや、鍋倉先生の繊細な筆致をより深く味わうことができます。
「人生に遅すぎることはない。でも、楽な道でもない」
そんな厳しいけれど温かいエールが詰まった『リボーンの棋士』。完結の理由を知った上で読み返すと、初読の時とはまた違った感動が、あなたを待っているはずです。
「リボーンの棋士は打ち切り?」という疑問への答えは、きっと読み終えた後の、あなたの清々しい気分の中にあるはずです。

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