『ジョジョの奇妙な冒険 第5部 黄金の風』を語る上で、どうしても避けて通れない切ないトピックスがありますよね。そう、チームの知性派であり、短気だけど仲間想いだったパンナコッタ・フーゴの「戦線離脱」です。
物語の途中で仲間が去ってしまうという展開は、少年漫画としては異例中の異例。当時リアルタイムで読んでいたファンも、アニメで初めて目撃した視聴者も「えっ、ここでいなくなるの?」「再登場はしないの?」と、テレビや誌面の前で固まったはずです。
なぜ、彼はあの日、大運河の岸辺に取り残される道を選んだのでしょうか。そこには、スタンド能力の都合といった表面的な理由だけではなく、作者である荒木飛呂彦先生の深い葛藤と、運命的な物語の書き換えが隠されていました。
今回は、フーゴが離脱した真の理由、そして彼が背負わされるはずだった「幻の裏切り者設定」について、徹底的に深掘りしていきます。
衝撃のサン・ジョルジョ・マッジョーレ島での別れ
ブチャラティが組織のボス・ディアボロに反旗を翻したあの日。サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の岸壁で、彼はチームの面々に過酷な選択を迫りました。
「命令に従うのではなく、自分の意志で来い」
この言葉に対し、真っ先に動いたのはジョルノ、次いでアバッキオ、そして悩み抜いた末にナランチャが海へ飛び込みました。ミスタも当然のようにボートに乗り込みます。しかし、フーゴだけは最後まで動けませんでした。
「理想だけで生きられるほど世の中は甘くない」
「正しいバカにはなれない」
IQ152という高い知能を持つフーゴにとって、成功確率がゼロに近い無謀な反逆に乗ることは、自己崩壊に等しい行為だったのかもしれません。彼は現実的で、論理的だった。だからこそ、あの場に留まるという、ある意味で「最も人間らしい選択」をしてしまったのです。
作者・荒木飛呂彦先生が語った「描けなかった裏切り」
実は、フーゴが単に「島に残る」という展開は、連載当初の予定とは大きく異なっていました。荒木先生が後にインタビューや画集のあとがきで明かした衝撃の構想。それは、フーゴが「組織のスパイ」としてジョルノたちの前に立ちはだかるというものでした。
当初のプロットでは、フーゴはボスの刺客となり、かつての仲間であるブチャラティチームを始末するために再登場するはずだったのです。ジョルノが、かつての友であるフーゴを自らの手で葬る……。第5部のテーマである「黄金の精神」を試すような、あまりにも過酷な悲劇が用意されていました。
しかし、荒木先生はこの展開を執筆することができませんでした。
当時の荒木先生は、私生活において信頼していた人物に裏切られるような出来事があり、精神的に非常に大きなダメージを受けていたといいます。漫画の世界だけでも「信頼と友情」を信じたかった先生にとって、キャラクターが仲間を裏切るという残酷なエピソードを描くことは、精神的に耐え難い苦痛だったのです。
結果として、フーゴは「裏切り者」として敵対するのではなく、「静かに物語から去る」という形に変更されました。これは荒木先生からキャラクターへの、そして自分自身の心への優しさゆえの決断だったと言えるでしょう。
「パープル・ヘイズが強すぎたから」という説の真偽
ファンの間で長年囁かれてきたのが、「スタンド能力がチートすぎて、味方にいると物語の緊張感がなくなるから退場させられた」という説です。
フーゴのスタンド「パープル・ヘイズ」は、拳のウイルス入りのカプセルを割り、浴びた生物を数十秒でドロドロに溶かしてしまうという、極めて凶悪な能力。確かに、これがあればチョコラータやセッコ、あるいはボスのディアボロですら、一瞬の隙を突けば瞬殺できてしまうかもしれません。
しかし、この能力の真の恐ろしさは「敵味方の区別がつかないこと」にあります。日光に弱いという弱点や、射程距離の短さなど、少年漫画としての制約はいくらでもつけられたはずです。
実際、後に登場するチョコラータの「グリーン・ディ」は、パープル・ヘイズをさらに広範囲にしたような無差別殺戮能力でした。このことから、パープル・ヘイズの能力自体が持て余されたというよりは、「当初は敵として出す予定だったからこそ、あえて凶悪な能力に設計されていた」と考えるのが妥当でしょう。
味方でいれば使いにくいが、敵に回ればこれほど恐ろしい相手はいない。そんな絶望感を与えるための能力だったからこそ、そのまま味方側に置いておくわけにはいかなかった……という側面はあるかもしれません。
アニメ版が描いたフーゴの「孤独」と「救い」
原作では離脱以降、回想シーン以外での出番が完全になくなってしまったフーゴですが、アニメ版では彼に対する深いリスペクトと補完が行われました。
まず、彼の過去エピソードの掘り下げです。原作では「教師を殴ったエリート」という断片的な情報でしたが、アニメでは彼が幼少期から受けていたプレッシャーや、教師からの卑劣な性的虐待未遂といった、彼が「キレる」に至った壮絶な背景が描かれました。
また、ブチャラティやナランチャが命を落とした瞬間、遠く離れた場所でフーゴが風を感じ、仲間の死を悟ったかのような表情を見せるオリジナルシーン。これは、物理的には離れていても、彼の心は最後までチームと共にあったことを示唆する、ファンにとって涙なしでは見られない救済の演出でした。
フーゴは決して薄情だったわけではありません。彼の中にあったのは、仲間への愛と、それを上回るほどの「現実への恐怖」でした。その弱さすら肯定してくれるのが、アニメ版の優しい視点だったように感じます。
離脱後の物語『恥知らずのパープルヘイズ』の存在
「もしも」の話ですが、物語から去った後のフーゴがどうなったかを知りたいなら、上遠野浩平先生による公式スピンオフ小説『恥知らずのパープルヘイズ』は必読です。
舞台は、ジョルノが新ボスとして君臨した半年後のイタリア。組織に残ったものの「裏切り者の疑い」をかけられ続けているフーゴに、ジョルノはある過酷な任務を与えます。それは、かつての自分と同じように一歩踏み出せなかった「麻薬チーム」の処刑です。
この作品の中で、フーゴは自分のスタンド能力と向き合い、さらには「あの時、なぜ自分は行けなかったのか」という後悔と対峙します。
「一歩踏み出した者」だけが正解とされる第5部の世界で、「踏み出せなかった者」がどのように再生していくのか。荒木先生が表紙・挿絵を担当していることもあり、多くのファンにとって、この小説こそがフーゴにとっての「真の完結編」として受け入れられています。
もし興味があれば、恥知らずのパープルヘイズでチェックしてみてください。彼の物語が、あの島で終わっていなかったことにきっと救われるはずです。
結論:ジョジョ5部フーゴ離脱の理由は?裏切りの真相や荒木先生の意図を徹底解説!
パンナコッタ・フーゴというキャラクターは、ジョジョの歴史の中でも非常に特殊な立ち位置にいます。
当初の「スパイとして再登場し、ジョルノに倒される」という悲劇的な運命。それを回避させたのは、皮肉にも作者である荒木先生のプライベートでの「裏切りによる傷心」でした。現実世界の痛みが、漫画の中のキャラクターを死から救ったのです。
彼は勇気がなかったから離脱したわけではありません。あまりに理性的で、あまりに繊細だった。だからこそ、あの状況で「行かない」という決断を下した彼こそが、私たち読者に最も近い「人間」だったのではないでしょうか。
フーゴの離脱は、物語としては欠落だったかもしれません。しかし、その欠落があったからこそ、第5部の「運命」というテーマはより深く、より切ないものへと昇華されました。
彼のパープル・ヘイズが、もしも最期まで戦っていたら……そんな想像を巡らせながら、もう一度ジョジョの奇妙な冒険 第5部 カラー版を読み返してみるのもいいかもしれませんね。
皆さんは、あの日のフーゴの選択をどう感じましたか?「正しいバカ」になれなかった彼の孤独に、今一度思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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