「今日のごはん、何にしようかな」
そう思ったとき、ふと頭に浮かぶのは、きらびやかなフルコースではなく、誰かが一生懸命に刻んだ野菜の音や、湯気の向こう側にある笑顔だったりしませんか?
よしながふみ先生の描く漫画きのう何食べた?は、まさにそんな「日常の尊さ」を、1円単位の節約術と、溢れんばかりの愛情で包み込んだ珠玉の作品です。2007年の連載開始から、実写ドラマや映画を経て、いまや国民的と言っても過言ではない人気を博しています。
なぜ、私たちはこの物語にこれほどまでに惹きつけられ、作中に登場する料理を「美味しそう!」と身悶えしながら読んでしまうのでしょうか。今回は、長年のファンとしての感想をたっぷり交えながら、この作品が持つ「美味しさの秘密」を深く掘り下げていきたいと思います。
徹底した「生活者」の視点が生むリアリティ
まず、この作品を語る上で欠かせないのが、主人公・筧史朗(シロさん)の徹底した生活感です。
多くの料理漫画が「最高の食材」や「究極の技」を競い合う中で、きのう何食べた?が提示したのは、「近所のスーパーの特売品」でした。シロさんは弁護士という堅い職業に就きながらも、定時で仕事を切り上げ、スーパー「中村屋」のチラシをチェックし、1円でも安い食材を求めて奔走します。
この「生活者の視点」こそが、読者にとって最大の調味料になっています。
「あ、この特売のブロッコリー、うちの近くのスーパーでも安い時期だ」
「鶏肉を1枚使い切るんじゃなくて、半分は冷凍して別の日に回す。わかる、それやる!」
そんな、私たちが日々台所で感じている小さな苦労や工夫が、シロさんの独り言(モノローグ)を通じて丁寧に言語化されています。豪華なディナーではなく、工夫次第で豊かになる「普通のごはん」が、私たちの日常を肯定してくれる。その安心感が、ページをめくる手を止めさせないのです。
料理の「工程」が読者の脳を刺激する
この漫画を読んでいるとお腹が空く最大の理由は、よしながふみ先生の独特な演出手法にあります。
一般的な漫画では、完成した料理の「出来栄え」にページを割きますが、本作は違います。重要視されているのは、圧倒的に「調理の段取り」なのです。
「お湯を沸かしている間に、こっちの野菜を切っておく」
「この煮物を寝かせている間に、もう一品作る」
こうしたシロさんの脳内タイムスケジュールが、非常に論理的かつ具体的に描かれています。読者はただ読んでいるだけで、シロさんの隣で一緒に料理を手伝っているような感覚に陥るのです。
この「工程の可視化」は、料理を作る楽しさだけでなく、それが「誰かのために時間を費やす行為」であることを無言のうちに語っています。出来上がった料理の絵がシンプルな線で描かれているからこそ、読者の想像力が膨らみ、自分の知っている最高の味を脳内で再現してしまう。これこそが、本作の魔法です。
ケンジという「最高の受け手」の存在
料理は、作る人だけでは完結しません。それを食べる人の反応があって初めて、物語として完成します。
シロさんのパートナーである矢吹賢二(ケンジ)は、まさに世界一の「食べ手」です。シロさんが作った料理に対して、目を見開き、頬を赤らめ、「美味しいっ!」と全身で喜びを表現する。その姿を見ているだけで、読者の多幸感はピークに達します。
感想としてよく挙げられるのが、「ケンジの食べっぷりを見ていると、自分も誰かに料理を作りたくなる」という意見です。
料理を「義務」や「家事」として捉えると、どうしても面倒な側面が強調されます。しかし、ケンジのような最高の笑顔を見せてくれる相手がいれば、それは「プレゼント」に変わります。
シロさんの少しぶっきらぼうだけど、ケンジの健康や好みを考慮した献立作り。そして、それを全力で肯定するケンジ。この二人のやり取りこそが、どんな隠し味よりも料理を美味しく見せている秘密に違いありません。
年齢と共に変化する「身体と食」への向き合い方
きのう何食べた?が他の多くの作品と一線を画しているのは、作中の時間が現実と同じように流れている点です。
連載開始当初、40代だったシロさんとケンジも、今や還暦を見据える年齢になりました。この「経年変化」が、物語に深い味わいをもたらしています。
若い頃のような「揚げ物ガッツリ」のメニューから、少しずつ塩分を控え、野菜を多めに、健康を意識した献立へとシフトしていく過程。これは、長年作品を追いかけてきた読者自身の人生とも重なります。
「最近、油物がきつくなってきたよね」
「老後のために、少しずつお金のことも考えなきゃ」
そうした、切実な「老い」や「将来への不安」を、彼らは食卓を囲みながら静かに共有します。どんなに世の中が変わっても、自分の体調が変わっても、夜になればまた美味しいごはんを食べて、明日も頑張ろうと思える。
食は単なる栄養補給ではなく、人生の荒波を乗り越えるための「錨」のような役割を果たしていることが、巻を追うごとに強く伝わってきます。
言葉にできない感情を「献立」に託す
二人の生活は、決して平坦なことばかりではありません。
親との確執、職場でのカミングアウトを巡る葛藤、加齢に伴う健康問題、そして時にはパートナー同士の小さなすれ違い。
本作の見事なところは、そうした深刻な問題に対して、必ずしも言葉だけで解決を図らない点です。
喧嘩をして気まずい空気が流れていても、シロさんは台所に立ち、ケンジの好きなメニューを作ります。ケンジもまた、それを見てシロさんの心の内を察し、黙って箸を伸ばす。
「ごめんね」や「ありがとう」を直接口にするのは照れくさくても、目の前にある温かい味噌汁が、それ以上のメッセージを伝えてくれることがあります。
また、季節の移ろいを感じさせる献立(クリスマスのラザニア、夏のそうめん、冬の鍋料理)は、二人が積み重ねてきた時間の重みを象徴しています。「今年もこれを一緒に食べられたね」という無言の確認が、どれほど贅沢なことか。
この作品を読んだ後に感じる温かい余韻は、彼らの「食を通じたコミュニケーション」の純粋さに触れたからこそ生まれるものなのでしょう。
漫画「きのう何食べた?」の美味しさの秘密を感想と共に振り返る:まとめ
さて、ここまで漫画「きのう何食べた?」の魅力を多角的に紐解いてきました。
この作品が私たちに教えてくれるのは、美味しい料理を作るためのテクニックだけではありません。限られた予算の中で工夫することの楽しさ、相手の健康を気遣う優しさ、そして何より、誰かと一緒に「美味しいね」と言い合える時間がどれほど尊いか、というごく当たり前で、けれど忘れがちな真理です。
ページをめくるたびに、シロさんが刻む包丁の音が聞こえてきそうなリアリティ。ケンジの幸せそうな笑顔。そして、二人の間を流れる穏やかで、時にほろ苦い空気感。
それらすべてが混ざり合い、きのう何食べた?という唯一無二の「味」を作り上げています。
もしあなたが今、日々の生活に少し疲れを感じていたり、ごはんを作ることに義務感を覚えていたりするなら、ぜひもう一度この漫画を手に取ってみてください。
きっと、いつものキッチンが少しだけ愛おしくなり、今日の夕飯の献立を考えるのが、ほんの少し楽しくなるはずです。
「さて、今日の夜は何を食べようか」
そう思えること自体が、実は人生における最高のご馳走なのかもしれません。
これからも、シロさんとケンジが重ねていく「美味しい時間」を、一人のファンとして、そして一人の生活者として、大切に見守っていきたいと思います。
次にあなたが漫画「きのう何食べた?」のページを開くとき、そこにはどんな美味しそうな湯気が立ち上がっているでしょうか。

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