ジョジョの奇妙な冒険「ヨシヨシ」の元ネタとは?チョコラータとセッコの歪な絆を徹底考察!

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「ジョジョの奇妙な冒険」という作品には、数えきれないほどの印象的な名シーンや名セリフが存在します。しかし、その中でも群を抜いて「異様」であり、かつネット上で妙に愛されているフレーズがあります。

それが、第5部「黄金の風」に登場する**「ヨシヨシヨシヨシ……」**というセリフです。

初見でアニメや漫画を目にしたとき、「えっ、何この空気感……?」と戸惑った方も多いのではないでしょうか。敵キャラであるチョコラータが、相棒のセッコに対して放つこの言葉。単なる「褒め言葉」の枠を超えた、あの独特なリズムと狂気には、実はジョジョという作品が持つ「人間賛歌」の裏返しとも言える深い背景が隠されています。

今回は、ジョジョファンなら避けては通れない「ヨシヨシ」の元ネタから、チョコラータとセッコという最凶コンビの歪な関係性まで、徹底的に深掘りしていきます。


「ヨシヨシ」の元ネタと初出シーンをプレイバック!

まずは基本中の基本、この「ヨシヨシ」がどこから生まれたのかを振り返ってみましょう。

舞台はイタリア。ジョルノ・ジョバァーナたちがボスの娘・トリッシュを連れてローマへ向かう途中、彼らを待ち受けていたのが「パッショーネ」のボス直属親衛隊、チョコラータとセッコの二人でした。

彼らはヘリコプターで上空から現れます。チョコラータのスタンド「グリーン・デイ」が放つ殺人カビによって、街中の人々が文字通り腐り落ちていくという絶望的な状況。そんな地獄絵図のような戦場の中で、突如としてあの儀式は始まります。

異常な「褒め」の儀式

チョコラータは、自分の指示通りにブチャラティたちを追い詰めたセッコに対し、ビデオカメラを回しながらこう囁きます。

「ヨシヨシヨシヨシヨシヨシヨシヨシ……」

ただ撫でるだけではありません。チョコラータはセッコの頭を激しく、しかしどこか慈しむように撫で回し、さらには「ご褒美」として角砂糖を投げ与えます。それをセッコが空中で、まるで訓練された犬のように口でキャッチする。

この一連の流れこそが「ヨシヨシ」の正体です。

ネットで愛される「ヨシヨシ」

このシーンのインパクトは凄まじく、現在ではSNSや掲示板などで、誰かが何かを成し遂げた際や、あるいはペットを過剰に可愛がる際のネタとして広く浸透しています。特にアニメ版でチョコラータを演じた内田直哉さんの怪演と、セッコ役の小西克幸さんの「ウヒョヒョ」という独特の笑い声が合わさることで、その中毒性はさらに加速しました。


チョコラータという「史上最低のゲス」が求めたもの

「ヨシヨシ」を語る上で欠かせないのが、発信者であるチョコラータのキャラクター性です。

彼はジョジョの物語全体を通じても、類を見ないほどの「純粋な悪」として描かれています。元医師でありながら、健康な人間にあえて病気だと嘘をつき、不要な手術を施して苦しみながら死ぬ様子を観察することに喜びを感じていた男。そんな彼が、なぜセッコというパートナーに対してだけは、あんなにも執拗に「ヨシヨシ」と褒め称えるのでしょうか。

支配と教育の境界線

チョコラータにとって、セッコは単なる部下ではありませんでした。セッコは元々チョコラータの患者であり、彼の狂気に適応し、彼のスタンド能力と最も相性の良い形で成長を遂げた「最高傑作」だったのです。

チョコラータが行う「ヨシヨシ」は、対等な人間への敬意ではありません。自分が丹精込めて作り上げた「道具」や「家畜」が、期待以上の成果を出したことに対する、自己愛に満ちた賞賛なのです。

彼は他者の死を観察することで自分の生を実感するサイコパスですが、セッコに対してだけは「自分の一部」のような感覚を持っていたのかもしれません。だからこそ、あの過剰なまでのスキンシップが生まれるのです。


セッコの正体:従順なペットか、それとも?

一方、ヨシヨシされる側のセッコについても見ていきましょう。

彼は常に全身を覆うスタンド「オアシス」を身に纏い、地面を泥のように液状化させて潜る能力を持ちます。チョコラータの指示には絶対服従で、角砂糖を投げられれば喜び、ビデオを回されれば張り切る。まさに忠実な猟犬そのものです。

驚異的な身体能力と依存

セッコの戦闘能力は極めて高く、ブチャラティをも圧倒するほどです。しかし、彼は常にチョコラータの指示を仰ぎます。チョコラータが「ヨシヨシ」してくれることで、セッコの自己肯定感は満たされ、さらにその能力を研ぎ澄ませていく。

この二人の関係は、ある種の「共依存」と言えます。チョコラータは褒めることで支配し、セッコは褒められることで己の存在意義を見出す。一見すると強い絆で結ばれたコンビに見えますが、その根底にあるのは信頼ではなく、もっとドロドロとした、利益と本能に基づく結びつきでした。


7ページにわたる「無駄無駄」と、崩れ去ったヨシヨシの関係

ジョジョ第5部の屈指の名シーンといえば、ジョルノによるチョコラータへの「無駄無駄ラッシュ」です。

原作漫画で異例の7ページにわたって描き込まれたこの制裁は、チョコラータという男がいかに許されざる存在であったかを物語っています。そして、このチョコラータの敗北が、彼とセッコの「ヨシヨシ」の関係に衝撃的な終止符を打ちます。

セッコの豹変と残酷な本音

チョコラータがジョルノに敗れ、再起不能(リタイア)になったことを知った瞬間、セッコの態度は180度変わります。

「弱いから負けたんだ、カスが」

「あいつ、頭いいと思ってたけど、ただのバカだったな」

つい数分前まで「ヨシヨシ」されていたあどけない(?)姿はどこへやら、セッコはチョコラータを容赦なく罵倒し始めます。彼にとってチョコラータは「自分よりも強く、自分を導いてくれる賢い飼い主」だったからこそ従っていただけであり、負けて死んでしまえば、それはただの「ゴミ」と同じだったのです。

この手のひら返しこそが、チョコラータとセッコの関係の真理でした。彼らの間には、ジョルノやブチャラティたちが持つような「黄金の精神」に基づく信頼関係は微塵も存在しなかったのです。


チョコラータとセッコの関係から学ぶ「歪んだコミュニケーション」

私たちが「ヨシヨシ」のシーンを見て、どこか背筋が凍るような不気味さを感じるのはなぜでしょうか。それは、あのやり取りが「一方的な搾取」のメタファーだからかもしれません。

現代社会においても、相手を過剰に褒めそやし、依存させることでコントロールしようとする関係性は存在します。チョコラータの「ヨシヨシ」は、相手を人間として尊重せず、自分の所有物として扱う究極の形。

しかし、その「偽りの絆」は、ひとたび力関係が崩れれば、セッコが示したようにあっけなく崩壊します。ジョジョの作者である荒木飛呂彦先生は、この二人を通じて「真の絆とは何か」という問いを、逆説的に描いているようにも感じられます。


余談:日常で使える(?)「ヨシヨシ」の作法

もしあなたが、友人や同僚に対してジョジョ的な「ヨシヨシ」を実践したいと思ったなら(あまり推奨はしませんが)、以下のポイントを押さえておくと「っぽく」なります。

  1. 「ヨシヨシ」の回数は多ければ多いほど良い: 途切れることなく連呼しましょう。
  2. 角砂糖を用意する: 実際に投げるのは危険ですが、角砂糖などを見せながら褒めると、より原作の雰囲気に近づけます。
  3. ビデオを回す: チョコラータになりきって、スマートフォンのカメラで相手を撮影しながら褒め称えましょう。

※ただし、相手がジョジョを知らない場合、単なる変質者だと思われるリスクがあるため、使用には十分な注意が必要です。


まとめ:ジョジョの奇妙な冒険「ヨシヨシ」の元ネタが示すもの

いかがでしたでしょうか。

ジョジョの奇妙な冒険「ヨシヨシ」の元ネタは、チョコラータとセッコという、第5部でも最も狂気に満ちたコンビによる主従関係の儀式でした。

一見するとコミカルにも見えるあのシーンには、

  • チョコラータの傲慢な支配欲
  • セッコの強者への寄生本能
  • そして、それらがもたらす「偽りの絆」の脆さという、ジョジョらしい深いテーマが凝縮されています。

物語の終盤、ジョルノによってチョコラータがゴミ収集車へと叩き込まれ、セッコもまた自滅していく末路は、まさに彼らが築き上げた「ヨシヨシ」の結末としてふさわしいものでした。

次に「黄金の風」を読み返したり、アニメを見返したりするときは、ぜひこの二人の「声」と「表情」に注目してみてください。あの「ヨシヨシ」が、より一層不気味で、そして物語の深みを引き立てるスパイスとして感じられるはずです。

もし、あなたが誰かに心から「ヨシヨシ」と言いたい場面に出会ったら、それはチョコラータのような支配ではなく、ブチャラティのような対等な信頼に基づいた言葉でありたいものですね。


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