マンガファンの間でたびたび話題にのぼるのが、「ゴールデンカムイ」の作者・野田サトル先生と、金字塔「ジョジョの奇妙な冒険」の著者・荒木飛呂彦先生の関係性です。
読んでいる最中に「あれ?この構図、どこかで見たことがあるような……」「この独特の熱量は、もしや……」と、胸のざわつきを感じた方も多いのではないでしょうか。実は、野田サトル先生の作品には、ジョジョイズムとも呼ぶべき強烈な魂が宿っています。
今回は、野田サトル先生がジョジョからどのような影響を受け、それが作品のどこに現れているのか、マニアックな視点から徹底的に考察していきます。
野田サトル先生のルーツに眠る「ジョジョ」へのリスペクト
まず結論からお伝えすると、野田サトル先生がジョジョを愛し、多大な影響を受けていることは、ファンの間ではもはや「公然の事実」と言っても過言ではありません。
野田先生はインタビューやSNS、あるいは単行本の巻末コメントなどを通じて、自身の漫画家としての血肉となった作品について言及することがあります。その中で、荒木飛呂彦先生が築き上げた「ジョジョ」というジャンルに対する深い敬意が随所に感じられるのです。
特に、キャラクターの「立ち姿」や「肉体表現」に対するこだわりは、まさにジョジョの系譜を継ぐもの。荒木先生がイタリア・ルネサンス期の彫刻から着想を得て「ジョジョ立ち」を生み出したように、野田先生もまた、解剖学的な美しさと漫画的なケレン味を融合させた独自のスタイルを確立しています。
単なる表面的なパロディではなく、漫画という媒体でいかに「格好良さ」を表現するかという根本的な美学において、両者には強い繋がりがあるのです。
筋肉と肉体美!脱ぐことに意味がある「雄臭さ」の共通点
ゴールデンカムイを語る上で避けて通れないのが、筋骨隆々な男たちがこれでもかと登場し、そして頻繁に「脱ぐ」という点です。この肉体へのフェティシズムこそ、ジョジョとの最大の共通点かもしれません。
- 過剰なまでのマッスル描写ジョジョの初期(特に第1部から第3部)において、キャラクターの筋肉は単なる強さの象徴ではなく、画面を支配する圧倒的なグラフィックとして機能していました。野田先生が描く杉元佐一や谷垣源次郎、そして牛山辰馬といったキャラクターたちの肉体も、同様の「重圧」を読者に与えます。
- 脱衣の必然性と美学物語の中で、彼らが服を脱ぎ捨てるシーンは決してギャグ(だけ)ではありません。それは命を懸けた戦いの儀式であり、鍛え抜かれた肉体こそが最大の武器であることを示す演出です。荒木先生が描く「黄金の精神」が肉体に宿るように、野田先生のキャラクターたちもまた、その背中や傷跡で己の生き様を語っているのです。
このような「男性の肉体美を徹底的に肯定する姿勢」は、現代の青年漫画において非常に珍しく、かつ強力なオリジナリティとなっています。
構図とポージングに宿る「ジョジョ立ち」のエッセンス
単行本の表紙や、見開きでのキメポーズ。ここにもジョジョの影響が色濃く反映されています。
例えば、第七師団の面々や刺青囚人たちがふとした瞬間に見せる、重心をグッと片足に乗せた立ち姿。あるいは、首の角度や指先の動きに至るまで神経が研ぎ澄まされたポージングは、まさに「ジョジョ立ち」に通じる美学です。
- 静止画としてのインパクト漫画は動きを描くメディアですが、同時に「止まった瞬間の美しさ」も重要です。野田先生は、キャラクターを単に立たせるのではなく、S字のラインを意識したり、あえて不自然な捻りを加えたりすることで、読者の視線を釘付けにする工夫を凝らしています。
- ファッション性の融合荒木先生がヴェルサーチやモスキーノといったハイブランドのファッションを作品に取り入れたように、野田先生もまた、明治末期の軍服やアイヌの民族衣装を「最高にクールなファッション」として描き切っています。衣装の細部へのこだわりと、それを着こなすキャラクターのポージング。この掛け合わせによって、歴史モノという枠を超えたスタイリッシュな世界観が構築されているのです。
「変態」を肯定する?強烈なキャラクター描写の共通点
ジョジョの奇妙な冒険には、独特の倫理観や奇妙な癖(ヘキ)を持つ敵役が多数登場します。実は、野田サトル先生の描くキャラクターたちも、負けず劣らずの「変態性」を秘めています。
- 執着心が物語を動かすジョジョの悪役が持つ、他人には理解できない独自のこだわり。それが恐怖を生み、同時にキャラクターとしての魅力を引き立てます。ゴールデンカムイに登場する「剥製」への執着や、「姉畑支遁」に見られるような狂気的な愛情。これらは、一般的なモラルから見れば異常ですが、作品内では一人の人間の切実なエネルギーとして肯定的に(あるいは徹底的に残酷に)描かれます。
- 敵味方を超えた「敬意」ジョジョにおいて、主人公と敵が戦いの中で互いの信念を認め合うシーンがあるように、野田作品でも、殺し合いを演じながらも相手のプロフェッショナルな部分に敬意を払う描写が目立ちます。この「プロ同士のぶつかり合い」という構図も、ジョジョから受け継いだ王道の熱量と言えるでしょう。
擬音とセリフ回しが作る「独特のリズム」
読んでいると脳内で再生される、独特の擬音やセリフのテンポ。これもまた、両作品を繋ぐ重要なピースです。
ジョジョと言えば「メメタァ」「ゴゴゴ」といった唯一無二の擬音が有名ですが、野田先生もまた、音の表現には並々ならぬこだわりを持っています。
- 畳み掛けるようなセリフの応酬「オイオイオイ」「何だってッ!!」といった、勢いのある台詞回し。感嘆符の使い方や、一文の区切り方に宿るリズム感は、読者に心地よい緊張感を与えます。
- 「凄み」の可視化キャラクターが怒りや決意を露わにした際、その背後に立ち昇るようなオーラ。スタンド能力こそ登場しませんが、野田先生の描く強者たちには、間違いなく「凄み」が存在します。この「凄み」という言葉自体、荒木先生が広めた概念に近いものがあり、野田先生はその空気感を見事に紙面に定着させています。
リアリズムとファンタジーの絶妙な境界線
ジョジョは、現実の世界を舞台にしながらも「スタンド」という超常的な要素を組み込みました。対してゴールデンカムイは、徹底した歴史取材に基づく「超リアル」な物語です。
しかし、一見正反対に見えるこの二作は、「嘘を真実に見せる筆致」において共通しています。
野田先生は、アイヌ文化や当時の軍事技術について膨大な資料を読み込み、緻密に描写します。その圧倒的なリアリティの土台があるからこそ、時折混ざる「漫画的な大嘘」や「超人的なアクション」が、まるで本当にあったことのように感じられるのです。
この「読者を作品の世界へ強引に引き込む力」こそが、荒木飛呂彦先生から野田サトル先生へと継承された、クリエイターとしての最大の武器なのかもしれません。
まとめ:野田サトルはジョジョ好き?共通点や影響を徹底考察!
ここまで見てきた通り、野田サトル先生の作品世界には、至る所にジョジョへの敬愛と、その影響を受けた独自の表現が散りばめられています。
肉体美への執着、ポージングの美学、強烈すぎるキャラクター性、そして魂を揺さぶるセリフ回し。これらは単なる模倣ではなく、ジョジョが切り拓いた「漫画表現の可能性」を、野田先生が自身のフィールドである歴史・サバイバル・グルメという枠組みの中で、さらに進化させた結果と言えるでしょう。
ゴールデンカムイの熱狂的な人気の裏には、こうした偉大な先人へのリスペクトと、それを自らの血肉に変えて新しいエンターテインメントを生み出そうとする、野田サトル先生の飽くなき探究心があるのです。
もしあなたがまだどちらかの作品しかチェックしていないのであれば、この機会に両方の世界に触れてみてください。きっと、二人の天才漫画家が共鳴し合う「奇妙な繋がり」に、胸を熱くすること間違いなしです。
次はぜひ、実際に単行本を手に取って、あのキャラクターのポーズがどのジョジョ立ちに近いか、あなた自身の目で確かめてみてくださいね!

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