『ジョジョの奇妙な冒険 第2部 戦闘潮流』を読んだ誰もが、最初に抱く強烈な違和感。そして、その後に続く抗いがたい「格好良さ」への心酔。
物語の元凶であり、人類にとっての絶対的な天敵である「柱の男」たち。カーズ、ワムウ、エシディシ、そしてサンタナ。彼らが登場した瞬間、画面から溢れ出す圧倒的な肉体美と、それを隠すどころか強調するかのような「まわし(ふんどし)」スタイルの衣装に度肝を抜かれた方は多いはずです。
「なぜ、彼らはあんなに露出が多いのか?」
「あの衣装には、どんな意味が込められているのか?」
今回は、ジョジョファンなら一度は抱くこの疑問について、生物学的な合理性から美術的なルーツ、さらには作者である荒木飛呂彦先生のこだわりまで、多角的な視点から深掘りしていきます。この記事を読み終える頃には、あの「まわし」姿が、彼らが「究極の生命」であるための必然だったと確信するはずです。
柱の男たちが「まわし」一丁で戦う生物学的な必然性
まず考えなければならないのは、彼らが私たち人間とは根本的に異なる生態を持つ「闇の一族」であるという点です。彼らにとって、服を着るという行為は、単なるマナーや防寒ではなく、生存戦略における「足かせ」になりかねない理由がありました。
全身が「口」であるという驚異の摂食生態
柱の男たちの最大の特徴は、全身の細胞から強力な消化液を分泌し、触れた生物をそのまま吸収してしまう「食性」にあります。劇中でサンタナが自らの肉体を分解して通気口に入り込んだり、ワムウが指先だけで人間を吸い取ったりする描写を覚えているでしょうか。
彼らにとって、皮膚は単なる外皮ではなく、獲物を捕らえ、消化し、取り込むための「口」そのものなのです。もし彼らが現代人のように厚着をしていたらどうなるか。獲物を吸収するたびに衣服が邪魔になり、消化液で自らの服を溶かしてしまうことになります。
つまり、あの露出度の高い「まわし」スタイルは、いつでも、どこからでも、瞬時に敵を食らい尽くすための「戦闘服」として極めて合理的な形状なのです。
肉体変異を妨げない究極の柔軟性
彼らは自らの肉体を自在に操る「流法(モード)」を駆使します。
- エシディシであれば、体内の血管を外に伸ばして熱血液を浴びせる。
- ワムウであれば、関節を外して平面化したり、骨を突出させて「神砂嵐」を放つ。
こうした激しい肉体の形状変化を伴う攻撃において、伸縮性のない布地は邪魔でしかありません。必要最小限の急所だけを隠し、全身をフリーに保つ「まわし」こそが、彼らのトリッキーな動きを最大限に引き出すための最適解だったと言えるでしょう。
美術的ルーツから紐解く「理想の肉体」のデザイン
荒木飛呂彦先生は、キャラクターをデザインする際、膨大な美術的知識をバックボーンにされています。柱の男たちのあのビジュアルも、決して思いつきで生まれたものではありません。
ローマ・ギリシャ彫刻が提示する「神」の姿
荒木先生はインタビュー等で、柱の男たちを「神に近い存在」として描きたかったと語っています。彼らのモデルの一つとなっているのが、古代ギリシャやローマ時代の彫刻です。
ミケランジェロのダビデ像を思い浮かべてみてください。あの時代の彫刻は、人間の肉体を神聖なものとして捉え、一切の装飾を排した全裸の姿で「究極の美」を表現しました。柱の男たちの筋肉の造形、そしてそれを惜しげもなくさらけ出すスタイルは、彼らが「生物の頂点」であることを読者に視覚的に納得させるための演出なのです。
服で個性を出すのではなく、盛り上がった大胸筋や割れた腹筋、浮き出た血管そのものが、彼らのキャラクターデザインそのものになっている。だからこそ、私たちはあの「まわし」姿に、滑稽さではなく神々しさを感じてしまうのです。
日本の「金剛力士像」との共通点
また、東洋の視点で見れば、寺院の門に立つ「仁王像(金剛力士像)」との共通点も無視できません。仁王像もまた、筋骨隆々な上半身をさらし、腰には「裳(も)」と呼ばれる布を巻いただけの姿をしています。
この「腰布一枚」というスタイルは、洋の東西を問わず「圧倒的な力」と「怒り」、そして「守護神」の象徴として使われてきました。柱の男たちの威圧感は、こうした古典的な美術のルールに則って構築されているのです。
アステカ文明と「ストリッパー」のような華やかさ
第2部の物語は、メキシコの遺跡から始まります。柱の男たちが身につけている装飾品や「まわし」のデザインには、アステカやマヤといった中南米の古代文明のエッセンスがふんだんに取り入れられています。
古代の王としての装束
彼らが身につけているのは、単なる布ではありません。精巧な細工が施された頭飾り、ピアス、腕輪、そして文様が刻まれた腰布。これらは彼らがかつて「闇の一族」の中でも高貴な地位にあり、一族を率いるリーダーであったことを示しています。
アステカの戦士たちの記録を見ると、彼らもまた、鳥の羽や金細工で飾られた華美な装束を身につけていました。柱の男たちのファッションは、こうした「古代の王」としての威厳を現代に再現したものなのです。
ファッションとしての「究極」
一部のファンの間では、彼らの姿を「アステカのストリッパー」と呼ぶことがあります。これは揶揄ではなく、それほどまでに「見せること」に特化した美学があることへの賛辞に近いものです。
ジョジョという作品全体に通じるテーマですが、登場人物にとってファッションは「自分自身の魂の表明」です。カーズたちは、自分たちがこの世界の主(あるじ)であることを疑っていません。隠す必要などどこにもない。むしろ、完成された自らの肉体こそが最高のドレスであり、そこに添えられた「まわし」は、美しさを引き立てるための額縁のような役割を果たしているのです。
柱の男たちのまわしに関するQ&A
ここで、読者の皆さんが抱きがちな細かな疑問についても触れておきましょう。
ぶっちゃけ、寒くないの?
彼らの活動場所は、冬のアルプスや地下の遺跡など、過酷な環境が多いですよね。しかし、彼らは吸血鬼をも凌駕する生命力を持っています。体温を自在に操ることも造作もなく、寒さという概念自体が彼らの生存を脅かす要因にはなりません。むしろ、太陽光以外のあらゆる物理現象を克服している彼らにとって、厚着をすることは「弱さの露呈」にすら見えるのかもしれません。
なぜカーズだけが「究極生物」になった後に服を着たのか?
物語の終盤、カーズはエイジャの赤石と石仮面によって「究極の生命体(アルティミット・シィング)」へと進化します。その際、彼はそれまでの「まわし」姿から一転、黒い衣服を纏ったような姿になります。
これは、彼があらゆる生物の能力を兼ね備えたことで、自らの皮膚を「服」のような質感に変異させたとも考えられます。もはや布を巻く必要すらなく、自らの細胞ひとつひとつでファッションさえも制御できるようになった。これこそが「究極」の証だと言えるでしょう。
ジョジョの柱の男はなぜ「まわし」姿?露出が多い理由と衣装の元ネタを徹底解説!:まとめ
こうして振り返ってみると、柱の男たちが「まわし」姿であることには、驚くほど重層的な意味が込められていることが分かります。
- 生物学的な理由: 全身の細胞で捕食し、肉体を変異させるために、衣服は最小限である必要があった。
- 美術的な理由: ギリシャ彫刻や仁王像のような「神の肉体美」を表現し、圧倒的な強さを視覚化するため。
- 文化的な理由: アステカ文明の戦士や王としての装飾性を重んじ、独自の美学を貫くため。
彼らの姿は、単なるインパクト重視のデザインではなく、彼らが「闇に生きる神」であることを知らしめるための完璧な計算に基づいたものだったのです。
次にジョジョ第2部を読み返すときは、ぜひ彼らの「筋肉」と、それを彩る「まわし」のディテールに注目してみてください。荒木先生が描こうとした「生命のエネルギー」が、その露出した肌からひしひしと伝わってくるはずです。
もし、あなたがこの肉体美をより高精細な映像で楽しみたい、あるいは原作の細かなタッチを確認したいと思っているなら、手元に全巻揃えておくのも悪くありませんね。
ジョジョの奇妙な冒険 第2部ジョジョの世界は、知れば知るほど新しい発見がある底なしの沼です。今回解説した「まわし」の謎を入り口に、さらに深くその魅力に浸ってみてはいかがでしょうか。
さて、柱の男たちのビジュアルに隠された美学について理解を深めたところで、次の一歩として彼らが使う「流法(モード)」の科学的な考察についても探ってみませんか?

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