ドラゴンボール エボリューションはなぜ伝説の酷評に?驚愕の理由と鳥山明氏の神対応

ドラゴンボール
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「実写化」という言葉を聞いたとき、多くの漫画ファンが真っ先に思い浮かべ、そして静かに目を伏せる作品があります。それが2009年に公開された映画、ドラゴンボール エボリューション(DRAGONBALL EVOLUTION)です。

世界中で愛される伝説的コミック『ドラゴンボール』がハリウッドで映画化される。その一報が流れたとき、世界中のファンは期待に胸を膨らませました。しかし、蓋を開けてみれば、そこにはファンの想像を絶する「異次元の光景」が広がっていたのです。

なぜこの作品は、公開から15年以上が経過した今もなお「伝説の酷評作品」として語り継がれているのでしょうか。そこには、単なる「似ていない」の一言では片付けられない、驚愕の理由と、原作者・鳥山明先生のあまりに深い「神対応」がありました。

今回は、この映画が残した傷跡と、そこから生まれた奇跡の物語を徹底的に紐解いていきます。


衝撃の設定改変:悟空は「いじめられっ子の高校生」だった

まず、原作ファンが腰を抜かしたのは、主人公・孫悟空の設定です。私たちが知っている悟空は、山奥で育った世間知らずで純粋無垢な格闘少年ですよね。しかし、ドラゴンボール エボリューションの悟空は、なんとスクールバスで登校する「内気な高校生」として登場します。

彼は学校でいじめられ、意中の女の子(チチ)に声をかけることもできない、典型的なアメリカのハイスクール・ムービーの主人公として描かれました。修行の目的も「じいちゃんの遺言」という形ではありますが、物語の動機が「いじめっ子への仕返し」や「意中の子へのアピール」に寄ってしまったことで、原作が持つ「強さを追い求める求道者」としての魅力が霧散してしまったのです。

さらに、ファンを困惑させたのはキャラクターの外見や立ち振る舞いです。

  • 亀仙人: 武術の神様のはずが、ハワイアンシャツを着てエロ本を眺めるだけの「怪しいおじさん」に。禿げ頭ですらありません。
  • ヤムチャ: 砂漠の狼としての凄みはどこへやら。ただのチャラい青年で、戦闘シーンでの活躍もほぼ皆無です。
  • 大猿: 月を見て巨大化する設定はありますが、その姿は「人狼」のようで、原作の圧倒的な絶望感とは程遠いものでした。

このように、名前こそ同じですが、中身は完全に「別物」に差し替えられていたのです。


「気」の解釈ミス?カメハメハが放たれた瞬間の虚脱感

ドラゴンボールの代名詞といえば、手のひらから放たれるエネルギー波「カメハメハ」です。読者は、悟空がどれほどの修練を積み、どれほどの怒りや願いを込めてあの技を放つかを知っています。

しかし、この映画における「カメハメハ」の扱いはあまりに軽微でした。劇中では「気」が「空気の振動」や、あろうことか「ヒーリング能力(治癒魔法)」のような演出で使われるシーンがあり、ファンを唖然とさせました。

最終決戦で放たれるカメハメハも、画面を覆い尽くすような光の奔流ではなく、どこか弱々しい火の玉のような描写。この「技」に対するリスペクトの欠如が、アクション映画としての評価をもどん底に突き落とす決定打となりました。


脚本家による異例の「公開謝罪」という事件

映画が公開されて数年後、驚くべき出来事が起こりました。この映画の脚本を担当したベン・ラムジー氏が、自身の非を全面的に認める謝罪文を公表したのです。

彼はファンからの批判を真摯に受け止め、「多額の報酬に目がくらみ、情熱を持たずに仕事を受けてしまった。私はドラゴンボールのファンですらなかった」と告白しました。クリエイターが自作に対してここまでストレートに「金のためにやった、作品を愛していなかった」と認めるのは、ハリウッドの歴史においても極めて異例のことです。

この謝罪によって、ドラゴンボール エボリューションがいかに「魂の抜けたビジネス」として作られてしまったかが浮き彫りになりました。しかし、この脚本家の潔い謝罪は、長年怒り続けてきたファンにある種の「終止符」を打たせることにもなったのです。


主演俳優ジャスティン・チャットウィンの15年越しの涙

悟空役を演じたジャスティン・チャットウィンもまた、この作品の重荷を背負い続けた一人でした。彼は2024年、原作者である鳥山明先生の訃報に接した際、自身のSNSで深い哀悼の意とともに、再びの謝罪を口にしました。

「安らかに、ブラザー。そして、あんなにひどい脚色で大コケさせてしまってごめんなさい」

俳優として、世界的なアイコンである「悟空」を演じることは誉れであったはずです。しかし、完成した作品がファンを傷つけてしまったという事実は、彼の中にも大きな影を落としていたのでしょう。15年という月日が流れてもなお、真っ先に「ごめんなさい」という言葉が出る。その事実が、この映画の失敗がいかに根深いものであったかを物語っています。


制作現場の悲鳴:予算削減と混乱の舞台裏

なぜ、これほどまでの規模の映画が迷走してしまったのか。その背景には、現場の過酷な環境もありました。

ピッコロ大魔王役を演じたジェームズ・マースターズ(彼は熱狂的なドラゴンボールファンでした)によれば、撮影直前になって予算が大幅にカットされたといいます。当初予定されていた豪華なCGや特殊メイクの費用が削られ、スタントマンにメイクを施す予算さえままならない状況だったそうです。

ファンであるジェームズは、現場で必死に「原作ではこうだ!」と訴えたそうですが、制作陣にその声が届くことはありませんでした。情熱のある俳優と、ビジネスライクな上層部の乖離。これが「伝説の酷評」を生み出した構造的な原因だったのです。


鳥山明氏の神対応:怒りを「創造」に変えた作家の矜持

さて、この惨状を目の当たりにした原作者・鳥山明先生はどう動いたのでしょうか。ここに、鳥山先生が「神」と呼ばれる所以があります。

公開当時、鳥山先生はファンに向けて「別次元の『新ドラゴンボール』として鑑賞するのが正解かもしれません」というコメントを出しました。これは、暗に「私の作品とは別物です」と突き放しつつも、制作側を真っ向から否定しない大人の対応でした。

しかし、先生の真の「神対応」は、言葉ではなく「行動」に現れました。

実写版の出来に納得がいかなかった鳥山先生は、再び『ドラゴンボール』の制作現場に本格的に復帰することを決意します。その第一弾となったのが、映画『ドラゴンボールZ 神と神』です。

もし、ドラゴンボール エボリューションがそこそこの出来で、当たり障りのない作品だったら、鳥山先生はこれほどまでに情熱を持って新作の脚本を書くことはなかったかもしれません。つまり、実写版の失敗がトリガーとなり、その後の『ドラゴンボール超』シリーズへと続く「ドラゴンボール・ルネサンス」が巻き起こったのです。

自身の愛するキャラクターたちが壊されていくのを見て、怒るのではなく「だったら私が本物を見せてやる」と筆を取る。これこそが、ファンが最も救われた瞬間であり、最高のリベンジでした。


失敗から学ぶ「実写化成功」への教訓

この映画の失敗は、後の映画界に大きな教訓を残しました。近年、ONE PIECEのNetflix実写版などが成功を収めているのは、明らかにこの「エボリューションの失敗」を反面教師にしているからです。

  • 原作者を制作の核心に据えること。
  • キャラクターの精神性を変えないこと。
  • 何より、制作陣が作品の「ファン」であること。

これらの当たり前のことが、いかに重要であるかを世界に知らしめたという意味で、本作は「偉大な反面教師」としての役割を全うしました。


まとめ:ドラゴンボール エボリューションはなぜ伝説の酷評に?驚愕の理由と鳥山明氏の神対応

改めて振り返ってみると、ドラゴンボール エボリューションという作品は、単なる「失敗作」という枠を超えた存在です。

それは、脚本家の謝罪、主演俳優の15年越しの後悔、そして原作者の現役復帰という、映画本編よりもドラマチックな後日談を生み出しました。もしこの映画が存在しなければ、私たちは今、新作のアニメや映画を楽しめていなかった可能性すらあるのです。

そう考えると、あのカメハメハの脱力感も、どこか愛おしく思えてくる……かもしれません。鳥山明先生が示した「神対応」は、最悪の状況からでも最高の結果を生み出せるという希望を、私たちファンに教えてくれました。

歴史に残る酷評を受けたドラゴンボール エボリューション。その衝撃の理由を知った今、あえてもう一度、ツッコミを入れながら鑑賞してみるのも、ドラゴンボールという広い宇宙を楽しむ一つの方法と言えるでしょう。

「ドラゴンボール エボリューションはなぜ伝説の酷評に?驚愕の理由と鳥山明氏の神対応」というこの物語の結末は、決して絶望ではなく、次なる伝説へのプロローグだったのです。

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